万年筆で詩を書こう。じぶんの心を救うポエトリーライティング【ワークショップ】

店長
こんにちは、万年筆屋のIl Duomo店長・佐藤です。
以前、こんな記事を書きました。
わたしは小学校1年生のときから、詩がとても好きでして、小学校低学年のときの将来の夢は「詩人」、尊敬する詩人はまど・みちおさんでした。
詩を書くということは、わたしにとって「こころを整えること」に他なりません。だれに見せるわけでもなく引き出しに溜まっていくだけのノート。
でも、書かずにはいられないのです。詩を書いているときは、ほんとうの自分に出会えるような気がしていました。
いろいろあって、数年前に古本屋・庭文庫のみきちゃんと出会い、彼女と詩の交換などすることも増えました。そんななかで、2019年12月にふたりとしては初めて、詩を書こう会(ワークショップ)を開催するに至りました。
その後、みきちゃんがうちに一冊の本を持ってきました。
それがこちら。
あふれでたのはやさしさだった/寮美千子・著 (Amazonへリンクします)

「あふれでたのはやさしさだった」との出会い

こちらは、作家の寮美智子さんが奈良少年刑務所でもっとも支援が必要な子たち(つまり問題児)のために行った、社会性を養うプログラムのようすを手記にまとめた本です。
このプログラムの核を成しているのが、「詩」です。
最初、少年刑務所の受刑者たちは、心をかたくなに閉じており自分の気持ちや感じたことを言葉にするということがなかなかできず、社会性という点でも問題ばかり。怒鳴ったり、無駄に動き回ったり、キレたり。
ですが、この本の中で奇跡が起こります。
彼らは寮さんのこの詩のプログラムのなかで、自分の思いを詩にしたため、その思いを仲間や指導者に受け入れてもらうことにより、自分の犯した罪や壮絶な過去について、自分の心でしっかり受け止め、昇華し前向きに生きていくことができるようになったのです。
しかも、このプログラムは何期も行っているので、毎回メンバーは違います。でも、毎回奇跡のように、心を硬く閉ざしていた受刑者の少年たちが、自分の傷を詩として表現してくれたり、やさしい思いを見せてくれるようになるのです。

大人になるたびに鎧を分厚くする私たち

詩を書くことで、わたしはほんとうの自分だと自分で認識しているものを、再確認することができました。

 

「あふれでたのはやさしさだった」を読んだとき、はじめて詩を書いた時のよろこびや、なぜ書かずにはいられなかったのか、ということが思い起こされました。

大人になるにつれて、人間は常識とか習慣とか文化とか、いろいろなものを身に着けていきます。それゆえに、赤ちゃんの時にあった柔らかい透明な心に、どんどん硬い鎧がかぶさって行ってしまいます。

 

鎧は社会を生きていくために、必要なものかもしれません。でも、自分の中にある柔らかい子供の部分というのは、撫でてあげたり、味わったりしてあげられない。

詩を書くということは、そんな鎧を一枚ずつはがして、柔らかい心に触ってみる行為なのかもしれません。

 

さらには、この詩のプログラムでは、詩を発表して仲間に受け入れてもらうというフェーズもあります。ここでの少年たちの優しい言葉も素晴らしいのです。
みんなの詩を読み合うことで、感じていることはひとりひとり違うんだということにリアルに気づくことができます。

わたしはこの詩のプログラムは受刑者のためだけでなく、すべての人に共通する救いになる、と思いました。

 

個人的な意見になりますが、昨今の格差問題、そしてそれからくる差別・排斥…あるいは特定の人への誹謗中傷などというのは、理性ある人間としてあってはならない悲しい行為だと思っています。
特に最近はSNSの発達で匿名でどんなことでも言えるため、それが助長されているようでなりません。
すべての人は尊い。すべての人はやさしさを持ちうる。ただお互いにそれを知ろうとしていないだけ。わたしはそう思っています。
みきちゃんも同じことを感じていたようです。この本と同じような流れで、詩を書こう会を進めていくことになりました。

みんなで少年の詩を朗読する

冬の詩を書こう 庭文庫 万年筆

テーマ:冬の詩を書こう

流れ…

1.わたしからイントロダクション。

2.自己紹介かんたんに(どこからきたか、名前(ニックネームでも)、好きな季節と好きな色をいいましょう)

3.少年の詩の朗読と、まどみちおさんの詩をみんなで声を合わせて読む

4.みきちゃんから、詩の掘り起こしかたレクチャー

5.自由に、庭文庫の庭や室内で詩の種になる自分の心と会話してみる

6.テーブルに帰ってきて、詩をつくって、用紙に清書する

7.ひとりずつ朗読を発表していく
発表→まず他の人から感想をもらう→自分の詩の意図をいう

8.まとめー感想

イントロダクション、わたしから

万年筆 詩を書こう 庭文庫

わたしはこの日のために資料をけっこうつくりこんでいました。

寮美千子さんのされたプログラムになるべく近く、なるべく参加者全員がじぶんのこころを心置きなく表現できるように。
参加者全員、ひとりのこらず安心して詩を発表できる場をつくれるように。

 

そんな思いで、資料の最初にはわたしの書いた文章を、わたし自身が朗読させていただきました。

 

わたしがなぜ詩を書くようになったかという私的な内容です。
わたしは、小さいころ、あまりしゃべらずずーっと絵を描いているような子だったのですが
当然、なにも考えていなかったわけではありませんでした。

 

むしろ、まわりの表情や感情に過敏に反応していたので、いつも怯えていました。なるべく感情から目を背けて黙っていようと思っていたんですね。

 

小学校に上がって、国語の授業で詩に出会いました。
そこから、わたしは詩を書くようになりました。

 

誰に見せるわけでもなかったのですが、年間ノート10冊分くらいは書いていました。
当時、わたしのいっていた学校の教室には、生徒がどれだけ自主学習しているかを測るために自主学習ノートを積み上げる習慣があったのですが、
わたしはそこにこっそり詩のノートを挟み込んでいました。国語の自主学習としてカウントしてもいいだろうと思っていたからです。

 

同時に、誰かがひょんなことで詩のノートを発見して、わたしの心をわかってくれたらいいなという思いもありました。(でもこっそり挟み込んでいたので、だれにも見つかりませんでした)

 

詩を書くようになって、わたしの心はだいぶ救われました。
ノートに自分の気持ちや、美しい風景のことを書くと、だれかに伝えたような気分になります。

友人がわかってくれなくても、いじめられても、家庭で悲しい思いをしても、詩にすればなぜか昇華された気分になります。

これはまさに表現のはじまりです。

 

こういった経験から、詩を書く、ということはなにも詩人のためのものではない。
むしろ万人のためのものである、という思いがわたしの中にあるのです。

ーーとこんなようなことを朗読しました。
なぜ詩を書こう会を開きたかったのか、みなさんわかってくれたと思います。

自己紹介で、相手を「わかる」

冬の詩を書こう 庭文庫

自己紹介って、ともすればマウント取り合戦になってしまいます。
詩を前にすると、もはやその人の肩書などどうでもいいものです。
肩書も、年齢も、性別も、詩の前では無力。
というか、そういったものを取っ払うためのこの「詩を書こう会」なのですから、なるべく先入観が無いように肩書や見た目・性別年齢で判断しないようにみんながいられるように努めたいなと思いました。
ですので、自己紹介はあえてシンプルに。
「名前(ニックネームでも)、住んでいるところ、好きな季節と、好きな色」
にしました。
好きな季節と、好きな色は見事にみんな違いまして、それだけでもおもしろいものでした。
「夏ーー新緑のころ」
「冬ーー雪のころ」
「秋ーー晩秋」
「秋ーー秋の始まり」
「春ーー桜の季節」
「黄色」
「紺色」
「茶色」
「白」
「紫」
「好きな色、とくになし」
あ~、いいよね。
うんうんわたしも好き。
同じだ。
など、みんな相槌を打ってくれます。
みんな、好きな色や季節の話をするときは、ふっと顔がほころびます。
みんなひとりずつに、好きな季節がある。
世界中どこのひとだって、好きな季節や天気がある。
そんな当たり前の事実に気づいた時、人間のカラフルさに胸を打たれます。
肩書抜きの自己紹介は、場が和みます。

みんなで朗読する

詩の朗読のところでは、次のような詩を、「あふれでたのはやさしさだった」から引用して読みました。

くも

空が青いから白をえらんだのです

あふれでたのはやさしさだった

この「くも」という詩は、授業では言葉の少なかった受刑者A君がつくった詩。彼はこの詩を朗読すると、堰を切ったように語りだしたといいます。
「今年でお母さんの七回忌です。おかあさんは病院で『つらいことがあったら、空を見て。そこに私がいるからね。』と僕に行ってくれました。それが最後の言葉でした。お父さんはいつもお母さんを殴っていた。僕は小さかったから、なにもできなくて…」

 

教室の仲間もつぎつぎと手を上げ感想を言いました。
「僕はおかあさんをしりません。でも、この詩を読んで、、空を見たら、お母さんに会えるような気がしました」と言い泣く子もいました。

 

少年の詩をいくつか読んだ後、みんなで声をそろえて次の詩を朗読しました。

 

今回はなんとニューヨーク出身の日本語のしゃべれない方が参加してくださったので、公式に英訳の付いているまどみちおさんの詩をえらびました。

 

なみと かいがら

 

まど みちお

 

うずまきかいがら
どうして できた
―― なみが ぐるぐる
うずまいて できた

 

ももいろかいがら
どうして できた
―― なみが きんきら
ゆうやけで できた

 

まんまるかいがら
どうして できた
―― なみが まんまるい
あわ たてて できた

 

WAVES AND SHELLS

 

訳:美智子

 

Spiral shell, how were you born?
I was born
While the waves were whirling
Round and round.

 

Pink shell, how were you born?
I was born
While the waves were shining
Under the sunset glow.

 

Round shell, how were you born?
I was born
While the waves were bubbling
Foamy froth.

 

まどみちお作・英訳/美智子
ちなみに翻訳は、上皇后の美智子さまです。おどろくほど伝え方が正確で、英語の詩としても非常に美しい。素晴らしい翻訳です!

詩はどうやって掘り出す?

 

さて、ここで詩を書きましょうか~といっても、急に書けないということで、みきちゃんより詩を書くときのコツを教えてもらいました。

みきちゃん
詩は、飛躍してもいいものです。じぶんのための文章なので、ほかのひとに伝わらなくてもいいです。
たとえば犬だったけど、次の場面にはヒトに変わっている。
海だったけど宇宙でもいい。それと、「痒いところを掻く」ように書くといいです。ここまでしか出ないな~というとき、もっと痒い所に手が届くようにちょっとがんばって、書いてみてください。
今回、「冬の詩を書こう」というテーマを設けましたが、なにか違うものが浮かんで来たらそれはそれでもちろんOK.としました。
また、前回、庭文庫のもうひとりの店主ももちゃんが、詩の種の見つけ方も教えてくれました。

ももちゃん
上手く書こうとしないでいい。
こころに浮き出てきたものを、そのままとらえる。外に出て詩の種を探すときは、
植物なら植物と、会話するようにやる。むしろ植物から語り掛けてくるのを待つ。
無理に会話しなくてもいい。
自分の心から出てくる場合もあるし、植物やモノなどから言葉の切れ端をもらうこともあるということですね。
ちなみにわたしは、これは完全に好みなのですが「なるべく透明になって書く」ということに努めています。
じぶんフィルターを無くすと、透明になります。そして濃縮された心が出てくるイメージです。

詩の発表

 

さて、45分間という時間をとって、みんなが会場に散り散りばらばらになり、それぞれで詩を紡ぎました。

 

順番に詩の発表をしました。

 

詩の発表は、

最初に自分で、自分の描いた詩を朗読する

2名ほどから、感想をもらう。

そのあと、書いた意図を発表する(いわば種明かし)

という流れで行いました。
詩の朗読をきいて、それぞれ感じたこと、筆者がどのように考えて書いたか、などの感想をもらい、
筆者である発表者が、詩の意図を言います。
そうすると、同じ詩でも感じることはひとそれぞれなんだな~という気づきが得られました。

万年筆で詩を書こう会

Iさん、今年は暖冬だったので雪が降らなかったことを思って書いたそう。気候の心配をしつつ、肯定もしています。潔いです。

 

万年筆で詩を書こう会
Fさんの詩は、完成形は1行目の詩とのこと。実はこれは、撤去されることになった石油ストーブに向けて書いた詩なんだそう!

 

IさんとFさんの発表したのは1行詩でしたが、1行詩のような余韻を含む詩は、読み手に想像させる部分が大きくなります。

これら2つの詩も、筆者と読み手では解釈が違っていました。おもしろい。

 

 

 

万年筆で詩を書こう会

NY出身のCさんは、「罪」について書いてくださいました。繰り返しの言葉で対比をしている、ギミックのある詩です。

 

 

万年筆で詩を書こう会

Tさんもはじめて詩を書くということでしたが、子供のころの柔らかい心を思い出して書いてくれました。あ~わかるな~。

 

万年筆で詩を書こう会 万年筆で詩を書こう会 万年筆で詩を書こう会

Yさんは3枚に散文を書いてくれました。自分を律する心と、自由への希求…そんなものを感じました。

 

Y万年筆で詩を書こう会  万年筆で詩を書こう会

みきちゃんの詩。沖縄出身なので冬の詩を書こうというテーマが難しかったとのこと。悲哀と、やさしさと。ナイフのような切れ味との評が。

 

万年筆で詩を書こう会

Tさん。さみしくっても、「だれか」に対してお祝いをするという人間味があふれたやさしい詩です。お人柄がでています。

 

わたしはというと、16歳の冬に、病気で亡くなった級友のことを思い出して詩を書きました。
級友の入院中、手紙を何回かやりとりしましたが、最後に伝えたい手紙を出せなかったのがいまでも悔やまれていて。
詩にすると、天国に手紙がいくような気もしています。

 

(英語詩も読むのが好きなので、英語でも訳して書いてみました。)

 

同じ時間を過ごしても、このように違う言葉がひとりひとりから発露されるということは、不可思議であり、いとおしいことですね。

 

みなさん、どの詩も素晴らしかったです。

みんなからの感想

さて、みんなからの感想をもらいました。

 

・詩を書くのははじめてだったけど、こんなに長い時間自分の心と対話するとか、紙にしたためるということとかが日常ではしないので、とても貴重な時間になった。頭がからっぽになって気持ちよい。

・詩ははじめて書いたけど、自分はこういう意図で書いてると思っても、相手は全然違うことを思っているのがびっくりして、おもしろかった。

・自分が詩を聞いて「こういうことを言ってるんだろうな」と思っていても、筆者の意図がまったく違ったりして、いつも自分は自分のフィルターを通してみているんだなとリアルにわかった。

・いろんなタイプの詩を読んで(聞いて)、じぶんは書くと散文的にだらーっと書いてしまうけど、韻を踏んだり詩のかたちを気にしながら書くということにも挑戦したいと思った。

・テーマに沿って詩を書くということを普段しないので、難しかったけど、逆に訓練になってよいものが出てきたと思う。

・忙しい毎日なので、ゆっくり机に向かえて、貴重な時間を過ごせた。

 

などなど・・・

 

場のやさしさが、あらたなやさしさを生む。寮美千子さんの本のように、確かにやさしさがあふれでた、そんな会となりました。

 

 

終わった後、ほんとうに世界が変わったような気がして、胸が熱くなりどきどきしました。

 

まとめ

忙しい現代で、ゆっくり詩を書くということはなかなかできないかもしれません。

でも、こういう場でならきっとできると思います。

 

今回から、万年筆の貸し出しはいちおうしますが、それメインではありません。
わたしは仕事と思いながら詩を書くのは嫌なタイプなので…

 

ライフワークとして続けていけたらいいなと思っています。

 

この詩のプログラムは、いろんな人が必要としていると思います。
生きづらい人、重荷を背負う人、がんばりたくてもがんばれない人。いろんな人の中にきっと美しい詩があるんだろうなと。
こどもたち向けにもやってみたい…。

ご興味がある方は、ぜひお友達同士ででもいいので、この詩のプログラムをやってみてください。

 

世界が変わると思います。

万年筆の使い方・選び方に困ったら

店長
はじめまして!Il Duomo(イル・ドゥオモ)店長の佐藤です。

私は、幼少期から絵や文学(短歌とか詩)などが好きで、文具が大好きでした。

 

大人になってからヨーロッパ文具の美しさと独特の味わいに惹かれて、万年筆の通販サイトをはじめました。

主にイタリアのペンを中心に扱っています。

 

私自身、万年筆を使い始めてから手帳に向かい合う時間が増え、いっとき辞めていた詩歌の趣味も、あらためてはじめることができました。

そんなことから、わたしは筆記で人生はもっと豊かになると信じています。

 

万年筆・ボールペンをただ販売するだけでなく、筆記でどんなことが楽しめるのか、どんな風にペンたちを使っていくのか、そんなことも発信していきたい!と思ってこのブログをやっております。

 

 

万年筆の使い方、ペン先の選び方などご相談に乗れますので、気になる方はぜひLINE@でお気軽にトークしてみてくださいね(*'▽')

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